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暗かったあの頃シリーズ
続きます。
まだ読んでない方はこちらを先にチェックしてくださいね
暗かったOL時代につかんだ幸せ(1)
https://ameblo.jp/gogakumama/entry-12441302625.html
というわけで、順調に就職できたものの、英語が使えない環境におかれてしまったわたし。
やっと英語が使える転部を勝ち取りましたが、実はその後、また日本語しか使えない環境に転部になったのです。。。
とはいえ、社会人としての学びは多かったですし、素晴らしい先輩方にも恵まれ、社会人として組織の中で働くとはどういうことか、色々と厳しい現実を見せていただいたのはこの頃。
英語が少しできるということで、待遇もすごくよかったのですが。
自分の中でむくむくと、このままではいけない、、という焦りを感じるようになりました。
話が戻りますが、社会人になって、2年くらい経った時から、通訳学校に通うようになりました。
会社では英語を使わなくても、なんとかキープしたいという思いと、いつかは通訳者に、という思いが消えていなかったので。
通訳学校は、色々通いましたよ
マイナーなところから、メジャーなところまで。
数学期しか通わなかった学校もあれば、数年かよった学校もあります。
でも、最低、どの学校も2学期間は通いました。
しかし!通訳学校は、授業料がとても高いですよね
わたしが通い続けられたのは、ひとえに、外資金融機関に務めていたので、お金には困ってなかったという
それにつきます。
英語が使える職場にもしわたしが通っていたとしても、余裕がなかったら学校に通い続けることはできなかったなと思います。
なので、結果的に、よかったのかな。。??
通訳学校に通い続け、進級もでき、いよいよ通訳者になるために一歩踏み出そう!と思えたのは、金融機関に務めだしてから7年目でした!!下積み、ながっ。。。
続く。。。